時々、何も考えずにキーボードを叩きたくなる。
もちろん、本当の意味で何も考えずにキーボードを叩くことはできない。
ただ、頭に浮かんだことをそのままキーボードに叩きつけるという意味で使っている。
こういう行為は個人的に、脳のデトックス的な意味合いを持つ。
頭に浮かんだことをそのままキーボードに繋げることは、排水管掃除的なイメージに近い。排水管を直接掃除することが困難であり、そのためには大量の水を流すことが近道であるのと同じように、頭に浮かんだことを大量にキーボードに叩きつけることは、普段頭の中から出力をする手までの間に詰まっている何かを洗い流すような気持ちがする。
そういうことをしたくなるのは、何からしら詰まっているときだからだ。多分、こうして浮かんだことをそのままキーボードに打ち込むことで、脳の整理にもなり、それはつまり掃除になるのだ。
脳の整理にもなると言ったが、これは訓練の一種でもあるのかもしれない。
何も考えずに、頭に浮かんだことを素直にキーボードで打ち込む作業は、掃除であると同時に素振りでもあるのかもしれない。
普段文章を書くときは、頭に浮かんだことを脳の中である程度整理して構成してからキーボードに叩き出す。
この作業では頭の中で整理構成することがあるが、実はそれが終わってしまったらやるべきことは今やっていることと一緒でもある。
つまり、整理されたことをそのままキーボードに叩き出す作業だ。
この作業の素振りをしているのかもしれない。
しかし、素振りもしくは頭の清掃は気持ちいい。
特にキーボードを叩く手の感覚が気持ちいい。
前にも何度か書いたが、今は Keychron の青軸キーボードを使っている。
青軸のしっかりした打鍵感とかちゃかちゃうるさい音、これがいいのだ。
この音は人によっては単なる騒音にしか聞こえないだろう。だが、私にとっては(使ったことはないが)懐かしのタイプライターを連想させる音で、この音がするからこそキーボードを叩いているという気持ちになるのだ。
しかし、人によっては単なる騒音にしかならないのは理解しているので、職場などでは使うのを控えてしまうのがネックといえばネックである。
だからこそ、在宅勤務はいい。他の人のことを気にせず気に入った道具を使うことができる。
他にも在宅勤務のメリットは多いが、私にとってはこの好きな道具を使えるというところが一番なのかもしれないというと言い過ぎだった。通勤時間がないところが一番です。はい。
何も考えずにキーボードを叩きたいとき、それは頭から出力までのところの掃除をしたいときなのかもしれないが、こういう気分のときは昔の文章を読み返したくなるときでもある。
私は自分の文章を1年に数度、あれこれ読み返したくなるタイミングがある。
私は色々なところに文章を書き散らしている。
このブログもそうだし、 Twitter もそうだし、他にも色々なところに書き散らしている。
それらを読み返すことは、私にとっての幸せのひとつだ。
自分いいこと書いてるなぁ、なんて思ったりもするし、自分この時に書いてたこと今だにできてないな、なんて思ったりもする。
ただ、過去の自分と向き合う、しかもポジティブな感情で、というのは本当にいいのだ。
かつてはネガティブに過去を振り返って過ぎてしまったことは変えられないのにたらればばかり考えていたが、このようにポジティブになれるようになったのは一体いつからなのか、それははっきりとは分からない。
ただ、こうして思い浮かんだことを書いて、何年か後にそれを読んで、自分の羅針盤にするみたいなことができるのは本当にいい。
それは、かつては紙の日記の役割だったのだろうが、私は多分紙の日記というのはつけられない上に無くしたりする性格だと思うので、この時代になって本当に良かった。
手書きの日記というのも悪くはないのかもしれないが、私の場合は手書きにするとこの頭とキーボードがなるべく直で繋がっている感覚というか、出力までの距離が遠くなってしまうであろう。
多分それなしで雑文を書くのは、私にとってはしんどい作業なのだと思われる。
一方で、おそらく手で書く方がいい分野もあって、それは数学などの問題を解く行為である。
何年かに一度、思い出したかのように数学の勉強をするが、数学のノートはキーボードで叩きながら書ける気がしない。
純粋に数学記法をキーボードで入力するのが困難だというだけではなく、頭で考える速度が遅くなるので、出力もそれに合わせてゆっくりとしたものを選びたくなるように思う。
この文章は散々書いている通りあまり考えないで浮かんだことをそのまま書いているが、数学はじっくり考えて、書くときにレイアウトも含めて整理整頓しながら書くことが理解につながる気がする。
そんなこんなことを書いていたら、そろそろ2000字になる。
このはてなブログは書いている文字数が常にカウントされる UX を提供してくれるが、なるべくたくさんの文字を書いてもらいたいという狙いで置かれた UX なのだろうか。
もう2000字なのだから終わりにしようかとも考えたけれども、多分まだもう少し書けるな。
とは思ったが、そろそろ頭の中に溜まった垢みたいな思考も底をついてきたかもしれない。
この文章は何かを考えながらまとめる文章ではなく、頭の中に浮かんだことを流すための文章だから、浮かぶことがなくなって考えるようになる前に終わるのがいいのかもしれない。
でも、2500字には到達したいな。
うん、この文字数をカウントする UX は私にはもう少し文字数を伸ばす方向に働く体験かもしれない。
残り200字。
普段はあまり文字数を考えてキーボードを打つことがないので、この200字で何がどれだけ表現できるか分からないけれど、考えてみれば Twitter のツイートよりは長い文章が書けるのか。
そう考えると2500文字に到達したいという考えはあまりにも軽はずみだったかも知れない。
というわけで、わずかに2500字に足りないところで終わるのがいいのかも。
今日はいい指の運動になった。