なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

私たちが守るべき約束と正しさを求めることについて

 他人に正しさを求める生き方は辛い。 他人は自分ではないので同じことを正しいと思わないかもしれないからだ。
 けれども、辛いからといって何もしないことがかならずしも賢いとは言えない。 自分の身の回りで自分の考える正しさが行われないことそのものが辛いことだからだ。
 もし、周りで間違っていると思うことがありそれが辛くて正したいと思ったら、声を上げる以外の方法はない。
 時々、その声を上げること自体を非難する人を目にする。 「あなたの正しさを他人に押し付ける権利をあなたは持っていない」 などという言葉だ。
 その言葉は正しい。誰も自分の正しいと信じるところを他人に『押しつける』権利は持っていない。
 しかし、自分の辛さを解消したいのならば声を上げる以外の方法はない。
 肝心なのは、声を上げる側は自分の要望が受け入れられて当然だとは思わないこと。 声を受け取る側は、仮に要望内容がとても受け入れられないことだったとしても、その人が要望すること自体を悪とは思わないことだ。
 なぜなら、私たちは互いを尊重しあう必要があるからだ。そしてその態度こそがお互いの平等を約束するものなのだ。
 平等とは約束によって作られる。お互いにその約束を守ることでしか作られない。我々は天の元に平等であるが、それを履行するのは天ではない。人だ。
 お互いにその約束を守ることが、正しさについて話をする最低条件なのだろう。

絶対に正しいことに従うのが無敵だと思っていた

 昔、絶対に正しいことに興味があった。絶対に正しいことを見つけてそれに従って生きていれば、何も怖いことはないと思っていた。そうした生き方は無敵であり、きっと、とても楽になれると信じていた。
 だって、絶対に正しいってすごいよ。自分さえ間違えなければ、間違っているのは、悪いのは、みんな「奴ら」なんだから。私は何も悪くない。そう、私は何も悪くないの。だから、私は絶対に正しいことを知りたかった。そこを自分の軸にできたら、きっと今感じている苦しさから解放されるのだと信じていた。
 結論から言うと、絶対に正しいことなんてなかった。宗教の園まで探しに行けばあったのかもしれないけど、私はそこまでは向かわなかった。もう少し言うと、宗教の園以外にも絶対に正しいことを作ることはできたかもしれない。でも、その世界には他人が存在できないことに気がついた。だから、絶対に正しいことを探したり作り出したりすることは間違っているのだと思うようになった。
 そう思うようになったけれど、自分の心は苦しいままだった。何を拠り所にして立ったらいいのか分からなかった。
 そんな時、のちに夫となる人と再会した。そして、その人がかけてくれる優しい言葉を信じようと決めた。それらの言葉はまるで地獄に垂らされた一本の細い蜘蛛の糸のようで、しっかりと信じなければ千切れてしまうもののように思えたからだ。
 そして思いもかけず、その蜘蛛の糸は私の人生の拠り所になった。
 それは昔の私が探し求めていた、絶対的な何かではない。きっと今でも細い糸のままで、何かあったら千切れてしまうのだろう。それでも私はそれを信じることができる。この世界には、私の他に彼もいるのだから。
 絶対に正しいことがあると思っていた。それに従えば、何に怯えることなく生きていけるようになれると思っていた。
 でも、絶対に正しい何かにすがらなくても、隣にいる人に手を伸ばし、繋ぎあうことができるのならば、それだけでいいのだ。それができれば、未来の何が約束されなくとも生きていける。
 そう思う。

予想以上にピカチュウになってしまったので

【オリジナル】「猫娘。」イラスト/禎波ハヅキ(KZE) [pixiv]

 

 すごく今更ですが、pixiv連携を試してみました。

 せっかくブログに載せるのだから、この絵についての話を少し。

 まず、セーターの色に悩みました。そして、茶トラネコにしようと考えたときにこのカラーが浮かびました。なので最初はセーターには茶色の横縞が入っている予定だったのですが、予想以上にピカチュウになってしまったので諦めたという経緯があります。

 そして、髪の毛の塗り方を模索中です。

 

 そうそう、最近よかったと思うことが一つありまして、それは色ぬりをする上でレイヤーマスクを覚えたということです。

 なんかこれを覚えるまで、意固地になって背景レイヤー1枚、人物レイヤー1枚ぐらいで、はみ出しに気をつけてものすごく苦労して塗っていたしその割には結果がついてこないという状況にありました。アナログ時代から絵を描いているという変なプライドがデジタルならではの塗り方を否定していたんです。その上、マスクを切るのが面倒臭い作業だと思っていました。

 でも、ちゃんと選択範囲が取れる線画を描いておけば、マスクを切るのが面倒ということもなく、塗りが楽々に行くようになりました。これは最近あった良い変化です。

 なんかどこかのブログで、成長しないのは意固地な人だというような話がありましたが、まさしく自分だったようです。

 

 自分の絵はまだまだ伸びる余地があると思うので、もっと伸びるように頑張りたいです。