なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

ドラクエ10、調理職人の話

 ドラクエ10では調理職人をやっている。ドラクエ10のサービスイン時には無かった職人だ。

 私は一応サービスイン時からドラクエ10を遊んでいるので、最初は裁縫職人をやっていた。しかしこの裁縫職人、どうにも性に合わなかった。

 裁縫職人はランダム性が極めて低いミニゲームだ。つまり、エクセルなどを使った計算が生きてくる職人でもある。ここに耐えられなかった。一つ操作をしたらゲームの画面をしっかりと見て、布に与えたダメージをちゃんと覚えて、布の残りダメージを計算する。ここがもう面倒で面倒で辛かったのだ。

 その上、ドラクエ10の職人は10レベル(本当に序盤のレベルだ)を超えてしまったら転職ができない。鬼かと思った。

 ちなみにドラクエ10の世界アストルティアは、カネトルティアと揶揄されるくらい何をするにもお金が重要で、しかも職人以外にはお金を稼ぐ手段がVer.1当時はほとんどなかった。だから職人を投げてしまった私には、ふくびきでコインが当たるのを夢に見るくらいしか金策がなかったのだ。

 そんな中、調理職人が実装された時にそこに逃げ込んでしまうのは必然だったとも言える。

 一応考えくらいはあった。調理職人で作る料理といえば、消費アイテムだ。必然、単価も低いはずで、だとすると原価もまた低いはずである。そうすると、私のような貧乏人でも参入障壁は低いはずだ!と思ったのだ。

 そして、調理職人実装と同時に配られた転職チケットを使って、私は調理職人になったのである。

 そしてこの調理職人、最初は「マジ難しすぎるんだけど」としか思えなかった。調理職人とランプツボ以外の職人には決定的な差がある。それが、具材全体に同時進行でダメージが入っていくという点である。

 他の職人は基本的に、そのターンで自分がダメージを与えたいところにしかダメージが入らない。その上与えるダメージの幅は自分で選べる。

 しかし調理職人は、具材が全てフライパンに乗っており常に火であぶられているという設定上、1ターン過ぎるごとに全ての食材にダメージが入る。与えられるダメージ量はフライパンの上のどの箇所に具材が乗っているのかで決まるが、それも1ターンに最大1回しか具材を動かせない関係上、自由に選べるとは言い難い。

 その上、ドラクエ10の職人ミニゲームは『基準値』と呼ばれるダメージ量にどれだけ与えるダメージを寄せられるのかというのが基本にあるが、調理職人の具材の基準値は、全ての具材でてんでバラバラで毎回ランダムに違う上、どこが基準値だかわからないという非常に難易度の高い設定になっている。

 転職したがこの制約に気づく頃には10レベルを超えており、また無理ゲーかよ!と正直私は頭を抱えたのだった。

 しかし、ではこのゲームを攻略するコツはなんなのか?という話になる。それが、『会心』と呼ばれる現象を利用することだ。

 会心の焼き具合というものがこのミニゲームにはある。詳しい仕様は省略するが、つまるところいいタイミングでこの会心が発生すると、どこともわからないはずの基準値で必ずダメージゲージが止まるという現象が起こる。というか、調理に限っては会心で止まったところが基準値という逆算でしか基準値がわからない。詳しく見ていくと偽会心と呼ばれる現象に泣かされたりもするのだけれど、この記事ではそこまで突っ込まないことにする。

 そしてこのコツを考えて見ると、調理のミニゲームは裁縫のミニゲームとは正反対の性質を持つことに気づく。

 調理は極めてランダム性の高いゲームだ。そして、ちょうどいいタイミングで会心さえ出てしまえば、それまでに一体幾つのダメージを与えたのかなどという話はどうでもいいというゲーム性も持つ。つまり、計算がほとんど必要ない。もちろん、ちょうどいいタイミングで会心を出すためには計算が必要ではあるのだけれど、そのちょうどいいタイミングの数値を一度算出すればあとは覚えるだけなので問題ない。

 つまるところ運ゲーじゃね?といぶかしむ向きもあるだろうが、それでも焼き方の手順というものに工夫のしどころがあり、いい手順を計算している場合としていない場合には星3作成成功率が全く違ってくる。

 ここが調理の楽しい点だ。

 転職したばかりの頃は後悔もしたが、今となっては楽しく調理職人をやっている。

最初に読んだ漫画

 記憶の中にある一番最初に読んだ漫画は、黒鉄ヒロシ氏の『赤兵衛』だ。父がビッグコミックビッグコミックオリジナルを毎号買っており、それに載っていたのを読んだのだ。何歳の頃かは正直ちゃんと覚えていない。

 漫画の読み方を父に訊いたとき、父がちゃんと教えてくれたのを覚えている。

 「1段目を右から左に読んでいって、端まで行ったら細い白い部分を左から右に戻って行って、二段目をまた右から左に読んでいくんだ」

 そんな風に読み方を教えてくれた。

 というわけで私はなかよしを読むよりも早く、ビッグコミックビッグコミックオリジナルの読者になったのである。小学校2、3年生の頃には父が毎号買ってくるのを楽しみにしていた。

 もちろん大人向けの話ばかりなので、子供心に理解できた話は少なかったと思う。本当に読み始めの頃は赤兵衛が一番楽しいと思って読んでいた。

 しかし漫画の力は恐ろしい。わからなくても印象に残るシーンは数あるのだ。例えばかわぐちかいじ氏の『YELLOW』の最終話などが結構印象に残っている。それと、ゴルゴ13エボラ出血熱の話はものすごく怖かった。

 それから徐々に興味の幅は広がり、『家裁の人』や『おかみさん』などを楽しみにしていた。『玄人のひとりごと』も麻雀用語がわからないながらも爆笑していたし、『MONSTER』が始まった時にはこれヤバいと真剣に思った。ちなみに、『風の大地』でリリィが死んでしまった件については本気で作者を恨んだものだ。

 小学校高学年くらいになってくると浮気雲の凄さにも気付きはじめ、、だからこそ少年ガンガンで『ドブゲロサマ』が始まった時にはガンガン編集部もヤバいと思った。

 まぁとにかく、私の漫画遍歴はその多くの部分がビッグコミックビッグコミックオリジナルで出来ているのである。

 あの時、私の手から『赤兵衛』を取り上げずに漫画の読み方を教えてくれた父には、心から感謝している。

賢いとか愚かとか

っていうキーワードは、自分の中の地雷だなぁ、と思う。
賢い人はこういう人だ、みたいな意見を目にするだけで、心が曇る。なぜなら、そういう人が「愚かな」人々を差別しているように見えるからだ。
そう見えるだけで、実際に差別をしているわけではないのかもしれない。
でも、差別ってする側には自覚がなかったりするものこそ根が深いとも思う。
そしてそうした差別に対し、個人的な反論は2点ある。
まず、目に見える範囲では愚かでも、目に見えないところに聡明さがある可能性を否定できない、ということ。
もう1点は、仮に全ての面で愚かであるように見えても、それがその人の尊厳を奪うものではない、ということ。
どんな人であっても自分の意見を尊重され、その意見があること自体を否定されない権利があると思う。

なぜそう思うのかというと、人の尊厳は知性ではなく生きているということ自体に依っているからだと考えているからだ。

まぁ、冷静に書けばそんな感じなのだけれど、これはこれで自分が他の人を値踏みしているような書き方で違和感がある。
けれども、こういう書き方をしないと賢い人には伝わらない気がしてしまう。
本音をそのまま正直に書けば、「バカをバカにするな」なんだけどね。