なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

美容室での話

 もう何年も前、私がまだ高校生だった頃の話である。
 いい美容室を探していたところ、友人からあるお店を紹介された。店員さんが親切でサービスも良いお店だと言う。なので早速学校帰りにその美容室へ行ってみることにした。
 どういったお店だろう?とわくわくしながらその美容室に入ってみると、私は一瞬面食らった。店員さんが男性ばかりなのである。しかも全員革パンをはいており、どこぞの芸能人かミュージシャンかのような装いをしている。オタクでファッションにはほとんど興味のなかった当時の私にとって、こうした出で立ちの男性と対面することはたとえ客と店員の立場であっても非常に緊張するものであった。このお店に来たことを半分ばかり後悔するがもう仕方がない。下手に見栄を張ったやり取りはしない様にし、作り笑顔でこの場を切り抜けるしかないと判断した。
 美容師との会話、というのは美容室に行くにあたって二番目くらいに頭の痛い事項である*1。私は会話下手だがずっと黙って狸寝入りするのにも気が引けてしまう困った質であるからだ。案の定相手は女子に対しての適切な話題であるテレビ話や芸能話、ファッション話などを振ってくる。苦手なそれらの話題に対して、部活が忙しくてテレビが見れない、テレビ見ないから芸能界も分からない、ファッションは正直あまり詳しくない、などといった返事を曖昧な笑顔のオブラートに包んで返しつつ、通学時の苦労話などという(私にとって)無難な線まで話を持っていくことに成功した。この時点で相当気疲れしてはいたが。
 そしてそうこうしているうちにやっとカットが終わった。出来は大満足というほどのものでもないが悪くはない。内心ようやく解放されると思いながら席を立とうとすると、革パン美容師が少しはにかみながらこういった。
「ねえねえ、ワックスとかで髪をセットさせてもらいたいんだけど、いいかな?」
 どうして革パン美容師がこのようなことを言い出したのかはよく分からなかったが、断る理由も思いつかずにいいですよと答えてしまった。早く帰りたいんだけどな、などと思いながらもうしばらくの間革パン美容師に髪をいじられていたのだが、出来上がりを見てびっくりした。とてもいい髪型になっていたのだ。本当に大満足といった出来である。さっきまで感じていた気疲れが一気に吹き飛んでしまうほどに。革パン美容師氏もどこか満足げな顔をしている様に見えた。
 革パン美容師氏に心から感謝を告げ、その日は本当に浮いた気分で家に帰った。家族からの評判も上々だったことは、私の気分をもう一回り浮かせた。
 そしてその日は髪を洗うことが本当に残念に思えた。そんな気分を味わったのは後にも先にもあの日しかない。

*1:一番頭が痛いのは、満足できない髪型になってしまったときにどうするか?である。大抵は諦めるしかないのだが。