自分の世界を作るものは何なのか、意識していないと間違えるものがあるよな、と時々思う。
例えば、「賢い人は常に落ち着いて話す」という実感があるとして、それは真であると考える前に、自分は常に落ち着いて話す人を賢い人と認識してるのではないか?と考える必要がある。
自分の世界というのは自分というフィルタを通してのみ形作られるもので、そのこと自体はとても尊い。だから、「賢い人は常に落ち着いて話す」という命題を真にする世界を作ってもいい。
けれども、その命題を真たらしめているのは『事実』ではなく『認識』だということを間違えてはならないと思うのだ。