人が最後に望むことは、「伝えたい」ということだ、という話がある。
また、ある漫画家さんのあとがきにあった話だが、「自分の単行本を見ていると、残る仕事を選んでよかった」というものがあり、この言葉は私の心に非常に鮮烈な印象を焼き付け、同時に羨ましいとも思ったものだ。
そして私の話だが、私は今よりずっと消え入りそうな気持ちでいた頃、夢を見ていた。私が描いた絵を世界の誰かが覚えていてくれたらいいな、そういう夢だ。インターネットの片隅でひっそり公開している、自分の絵。見てくれている人は少ないかもしれないけれども、確かにいることは数字として現れている、そんな絵を。
私は結構いろいろなことを覚えている。たった一回掲載された短編漫画とか、雑誌の投稿ハガキの内容とか、そういうことを。それらを思い出すたびに、私が覚えているということを作者は知らないのだということがなんだか信じられなかった。でも、だから夢を見られた。私のことも、私が知らないところで覚えてくれている人がいる、と。
自分のことを伝えたい。そのために何かを(そう、漫画に限らず何かを)残したい。そして、自分がここにいたことを覚えていてほしい。
これは多分、創作の動機というものすら超えた人間の根源的な感情なのではないのかと思う。なぜなら、人は生きているのならばカタチの有無にかかわらず何かを残すからだ。
それはきっと誰かが見つけてくれるのだ。少なくともそう信じる限り、私たちの存在は透明にはならない。
私の話に戻るが、私の絵を覚えてくれている人はちゃんといることがネットを通じてわかった。奇跡みたいなことってあるんだな、と思った。
インターネットのおかげで、その奇跡を信じられる時代になったし、実際に奇跡が起こる時代になった。インターネットが変えたことは数多いけれど、私にとっては、もしかしたらささやかかもしれないこの奇跡が、一番大きなものだと思う。
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