まぁまずは以下を読んでいただきたい。
読んで頂けたものと思い、解説も補足もなくつづける。この記事はそう簡単に何かを要約して分かった気にさせてはならないからだ。
私も精神薬を飲み始めてからこの疑問を抱き、しかし蓋をして生きてきた。本当の自分など薬を飲んでいなくても分からないものなのだから、今感じる自分が全てだと思ってきた。この方針は記事を読んでも変わらない。
そして、この疑問は更に幾つかの疑問から構成されている。
- 精神は肉体に隷属するものなのか
- 本当の自分とはなんなのか
- ありのままに生きることに価値はあるのか
このいずれが欠けても斯様に深い疑問にはならない。そしてこれらもまた難問なのだ。
ただ、これらの疑問ひいては記事で語られる疑問はあることを示唆している。それは自由意思を持っていたいという希望があることだ。
もし自分の意思が自由でなくてもよいのなら、これらの疑問は生まれる余地がない。
自分の意思が自由であってほしいからこそ、それを妨げそうな考え方が気になるのだ。
私はどうだろう?そもそも私は自由意思を望んでいるだろうか?
実は私は自分の意思が完全に自由でなくともよいと考えているのかも知れない。だからこれらの問いに蓋ができるのだ。
これを読んで下さったあなたはどうだろう?
蓋ができますか?できませんか?
ひいては自由意思を望みますか?望みませんか?