なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

それは予言されていたかのように

 今日もキーボードを叩くのを楽しみに文章を書こうと思う。

 しかし、今日話す内容は全面的に愉快な話というわけではない。それでも、私の心に刺さった棘ではあるから、キーボードを叩くことでその棘をなるべく抜いてしまいたいとも思っている。

 今日はある集まりでさまざまな子ども向けの本の紹介を聞いてきた。同時に、私も紹介してきた。

 紹介した本は、「はみがきれっしゃ しゅっぱつしんこう!」(くぼまちこ・作)と、「クリスマスのおかいもの」(たしろちさと・作)だ。

www.alicekan.com

bookclub.kodansha.co.jp

 どちらも読み聞かせをしていると気持ちが温かくなる本だ。

 だが、紹介しようと一瞬思ったけれど諦めた本もある。それは、私が子どもの頃に繰り返し読んだ本だった。

 私の両親はあまり絵本を買わない人たちで、家にあった絵本は5冊もなかったと思う。その数少ない絵本の一つが、「かんくちょう」だった。

 元は仏教の説話だったらしく、話の内容としては「アリとキリギリス」が近い。

 なぜこの絵本を紹介できなかったのかというと、出版社が某宗教団体の出版部門だからである。私の家は、この宗教団体を割とマイルドに、だが2世代にわたって(つまり私は宗教3世にあたる)信奉する家だった。

 しかし私は、家にあった他のどの絵本よりもこのかんくちょうが好きだった。なぜそんなに好きだったのかはもう理由が分析できるほど記憶が鮮明ではない。

 だが、昼は遊び呆けて夜になるとその寒さに「明日こそ巣を作るぞ」と決心をするも、昼になるとまた遊び呆けてしまう寒苦鳥が、決して嫌いではなかったと思う。

 今、大人になってみると、自分の性根がこの寒苦鳥と大差ないことが分かる。

 それが何かを予言されていたようで、今でも時々思い出しては、そこに棘が刺さっていることを確認している気がする。

ディオールのパッケージを描くアーティストが選んだ、ある日本のボールペン

 今年のホリデーギフトを色々見てたら、以下のページを見つけました。
www.dior.com

 10万超えのアドベントカレンダー、すごいですね。

 でも私が本当にすごいと思ったのはそこじゃなくて、このページから見れる動画でこのホリデーギフトのパッケージを描いている様子があるのですが、そこで使われているのがボールペンなのです。

 絵を描くのが趣味の人間としては気になってしょうがない。

 なので動画にボールペンが映ってるシーンをよく見て、使われているのがどのボールペンなのか調べてしまいました。

 それは、パイロットのG2 07、型番で言うとLG-20F-Lというものでした。

 これは定価220円の、特に画材用ではない普通の文房具です。

 それでこの美麗なパッケージが描かれていると考えると、本当にすごい。

 弘法筆を選ばずといいますが、それをさまざまと見せつけられました。

 でも多分、筆を選びに選んだらこのボールペンになったという方が近そうです。

 このボールペンを愛用しているアーティストは Pietro Ruffo 氏。

 世界トップレベルのアーティストに選ばれるパイロットのボールペン、凄みを感じます。

 YouTube の公式動画も見つけたので貼っておきます。

youtu.be

朝のメイクはお茶を淹れる前に

 今のキーボードを買ってから、大体10ヶ月になる。

 青軸のメカニカルキーボードで、打っていてとても楽しい。

 なので、キーボードを打つためだけの日記を書いてみようと思う。

 

 最近はメイクにハマっている。メイクは時々面倒なこともあるけれど、自分が好きなようにメイクをする時間は楽しい。メイク自体も楽しいのだけれど、特に好きなのはメイクした後にする背筋がピンとした感じだ。

 メイクをして、きっちりした朝を感じる。それがいい。

 

 ただ、メイクの出来上がりを見ていると、もっと上手くなれるのではないかという気持ちになる。

 ファンデーションを塗ってコンシーラーでシミを隠してパウダーをつけてからアイメイクをして口紅をつけてチークを塗る。

 こんな感じの多分至って普通なルーティンをこなしているけれど、仕上がりを見るともっと似合う色があるんじゃないかとか、自分の骨格的にこの塗り方はNGなのではないかとか、いろいろなことを思う。

 そもそもメイクをしっかり習った事がないから、なんとか自己流でやるしかないのだ。それがこの成長の余地がありそうな感じにつながっているのだと思う。

 

 だから近々カラー診断と一緒にメイクも習えるサービスを受けに行こうかと思っている。

 こういうところ、私は凝り性なのかもしれない。