なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

それは予言されていたかのように

 今日もキーボードを叩くのを楽しみに文章を書こうと思う。

 しかし、今日話す内容は全面的に愉快な話というわけではない。それでも、私の心に刺さった棘ではあるから、キーボードを叩くことでその棘をなるべく抜いてしまいたいとも思っている。

 今日はある集まりでさまざまな子ども向けの本の紹介を聞いてきた。同時に、私も紹介してきた。

 紹介した本は、「はみがきれっしゃ しゅっぱつしんこう!」(くぼまちこ・作)と、「クリスマスのおかいもの」(たしろちさと・作)だ。

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 どちらも読み聞かせをしていると気持ちが温かくなる本だ。

 だが、紹介しようと一瞬思ったけれど諦めた本もある。それは、私が子どもの頃に繰り返し読んだ本だった。

 私の両親はあまり絵本を買わない人たちで、家にあった絵本は5冊もなかったと思う。その数少ない絵本の一つが、「かんくちょう」だった。

 元は仏教の説話だったらしく、話の内容としては「アリとキリギリス」が近い。

 なぜこの絵本を紹介できなかったのかというと、出版社が某宗教団体の出版部門だからである。私の家は、この宗教団体を割とマイルドに、だが2世代にわたって(つまり私は宗教3世にあたる)信奉する家だった。

 しかし私は、家にあった他のどの絵本よりもこのかんくちょうが好きだった。なぜそんなに好きだったのかはもう理由が分析できるほど記憶が鮮明ではない。

 だが、昼は遊び呆けて夜になるとその寒さに「明日こそ巣を作るぞ」と決心をするも、昼になるとまた遊び呆けてしまう寒苦鳥が、決して嫌いではなかったと思う。

 今、大人になってみると、自分の性根がこの寒苦鳥と大差ないことが分かる。

 それが何かを予言されていたようで、今でも時々思い出しては、そこに棘が刺さっていることを確認している気がする。