なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

捨てる怖さの先にあるもの(本当に欲しいのはそれのはず)

 私にはやりたいことがたくさんある。お絵描きがしたいし、ゲームも遊びたいし、楽器もやりたいし、本も読みたいし、勉強もしたい。

 私は子どもの頃にこれが全部できていた。なんで出来ていたのかは分からないけれど、とにかくこれらを並行して楽しんでいた。きっとあの頃の時間は今より長かったに違いない。

 でも40歳になって気づく。というか前からうっすら気づいていたけれども認めていなかった事実と向き合う心の準備がやっといくらか出てきた。

 なぜ子どもの頃にやりたいことを全部できていたのか分からないと言ったな。あれは嘘だ。いや、それも嘘でちょっと考えれば分かることを今まで考えたことがなかったのだ。

 その事実とは単純で、生活費を稼ぐ労働も家庭を維持するための労働もみんな自分の両親に押し付けていたからだ。一方の私は学校に行って部活をやって帰ってきたらゲームにお絵描きに本読みを悠々自適に満喫していた。

 そして大人になってみて、同じことができなくなっていることに愕然とする。

 私はアホなので、大人になると時間を短く感じるってのは本当なのか!と独り合点をすることで今まで過ごしてきた。

 けれども違う。

 人生には生活があり、生活は労働に支えられていた。子どもの頃に担わなくてよかったそれらの負担を、今、やっているのだ。

 子どもの頃と比べて時間がないのは当たり前の話だ。

 今までもうっすらと気がついていたが、ここにきてはっきり分かったことがある。それは両手で抱えているやりたいことのうち、何かを捨てなくてはならないということだ。

 本当は何も捨てなくてもいいのかも知れない。

 けれども、やりたいことで何らかの結果を出したいのならば、どれかを捨てなければならない。ある程度の時間もかけずに結果を得ることはまず無理だからだ。

 しかし、こんな単純なことに気がついていなかった私はかなりがっかり系の人なんだなと思った。