なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

机回りを見直した

 デュアルモニターアームを買った。

 しばらく前からメインディスプレイと液晶タブレットのデュアルモニターで運用をしていたのだけれど、液晶タブレットをスタンドで置いてしまっていたため、机が実質使えないのが不満だった。

 机が使えれば、MacBookを広げたり書き物をしたりできるのに。

 そう思ったら居ても立ってもいられず、1万円ほどのデュアルモニターアームを買っていた。

 JAPANNEXTのこの品だ。

デュアルモニターアームガス式液晶ディスプレイアームクランプ対応15-32インチ対応耐荷重8kg2画面4軸垂直水平多関節JN-GM324DV

 さっき設置したばかりなので、これが本当に便利なのかはなんとも言えないが、今まで動かせなかった液晶タブレットを脇に寄せて、机にはMacBookを置いてこれを書いている。

 これから机回りが便利になるのかどうか、楽しみだ。

AI を英語の先生にして Git でノートを取るようにした

 英語の学び直しをしたい!と思い立ったので、今日から勉強をはじめてみることにしました。

 というわけで本屋さんに行ってみたところ、以下の本を見つけました。

AI英語革命

AI英語革命

Amazon

 手にとってページをパラパラめくってみると、ChatGPTを用いて英語を勉強するための方法が具体的に書いてあったのがよかったのでこれを買いました。

 私は主に英語の文章が読める様になりたいため、リーディングについて書かれた3章までまずは読んで、そこに書いてあったことを早速実行してみました。

 プロンプトで自分のレベルに合った適切な長さの英文をChatGPTに書いてもらい、それを自分で翻訳してみて、後からChatGPTに訳してもらった文章と見比べるということをしました。

 そのために Git の diff がとても便利な予感がしたので、早速 GitHub にリポジトリを作ってそこにノートを置いていくことにしました。

 まだまだ発展途上な上、三日坊主になる可能性も非常に高い取り組みですが、ちょっと頑張ってみます。

github.com

捨てる怖さの先にあるもの(本当に欲しいのはそれのはず)

 私にはやりたいことがたくさんある。お絵描きがしたいし、ゲームも遊びたいし、楽器もやりたいし、本も読みたいし、勉強もしたい。

 私は子どもの頃にこれが全部できていた。なんで出来ていたのかは分からないけれど、とにかくこれらを並行して楽しんでいた。きっとあの頃の時間は今より長かったに違いない。

 でも40歳になって気づく。というか前からうっすら気づいていたけれども認めていなかった事実と向き合う心の準備がやっといくらか出てきた。

 なぜ子どもの頃にやりたいことを全部できていたのか分からないと言ったな。あれは嘘だ。いや、それも嘘でちょっと考えれば分かることを今まで考えたことがなかったのだ。

 その事実とは単純で、生活費を稼ぐ労働も家庭を維持するための労働もみんな自分の両親に押し付けていたからだ。一方の私は学校に行って部活をやって帰ってきたらゲームにお絵描きに本読みを悠々自適に満喫していた。

 そして大人になってみて、同じことができなくなっていることに愕然とする。

 私はアホなので、大人になると時間を短く感じるってのは本当なのか!と独り合点をすることで今まで過ごしてきた。

 けれども違う。

 人生には生活があり、生活は労働に支えられていた。子どもの頃に担わなくてよかったそれらの負担を、今、やっているのだ。

 子どもの頃と比べて時間がないのは当たり前の話だ。

 今までもうっすらと気がついていたが、ここにきてはっきり分かったことがある。それは両手で抱えているやりたいことのうち、何かを捨てなくてはならないということだ。

 本当は何も捨てなくてもいいのかも知れない。

 けれども、やりたいことで何らかの結果を出したいのならば、どれかを捨てなければならない。ある程度の時間もかけずに結果を得ることはまず無理だからだ。

 しかし、こんな単純なことに気がついていなかった私はかなりがっかり系の人なんだなと思った。