いや〜、自分の記憶力と理解力をいろいろと疑ってしまう読み返しでした。原作にも瑞季居たじゃん。函南が水素の子供なんて大嘘じゃん。
そして、押井守はやっぱり原作クラッシャーでした。でも、いい原作クラッシュだったと思います。森博嗣自身がパンフのインタビューで語っていた通り、最も重要な世界の捉え方、空気、雰囲気は原作から忠実に再現し、そしてそれらを壊さないまま伝えたいメッセージは押井守のものに非常に上手くすげ替えてしまう、本当に稀な作品だったと思います。
原作のラストと映画のラストは非常に大きく違う訳ですが、私としては、どちらも好きです。全くの逆ベクトルを向いている両者のラストですが、共感できるのは原作版のラスト、受け止めたいのは映画版のラストといった感じです。
なんていうか、原作版スカイ・クロラと映画版スカイ・クロラは、原作版が上の句で映画版が下の句なんでしょうね。原作版が示したある種絶望的ででもささやかな優しさを持った人間の生き方に対して、映画版ではその絶望にあえて踏み込んだ人間の生き方を希望とともに示した、そう感じました。
原作版のラストで描かれたささやかな優しさ、そんな優しさをくれる人が私にも欲しい、そう思います。だから原作のラストには共感できる。でも映画版はそんな優しさにすがっちゃいけないと言っている。それは私もそう思う。だから映画版のラストは受け止めなきゃいけないラスト。
結局私の中では、スカイ・クロラという作品は原作版と小説版あわせてひとつの作品になった、そう感じました。