今日は TokyoWomen.rb に参加してきました。技術的にも学びの多い会でしたが、一番印象に残ったのは鳥井さんによる「Rubyと自由とAIと」でした。この基調講演によって触発された話を書きます。あくまで触発された話であって、基調講演にはあまり関係ない話ではありますが、書いていくうちに私はこんなことを考えていたのかという気づきが得られた話ではあるので、ちょっと残しておこうと思います。
私は割と相対主義者ではないかと自認しています。私には悪にしか見えないことを成す人にも、その人なりの何かがあるのだろうと考えます。
そしてだからこそ、私の考える「良きこと」をそのまま認めることができます。
ロジックとしてはそう難しくありません。もしこの世の中のどこかに、「絶対に正しいこと」があったとします。もしそうだとすると、自分の考える「良きこと」がその「絶対に正しいこと」と相反しないか気になるし、両者が一致することなど恐らくないでしょう。その様なときに自分の考える「良きこと」をそのまま認めるのは、私にとっては難しいです。
でも私は今は絶対的な正義はないと考えています。だからこそ、自分が考える「良きこと」を様々な考えのうちのひとつとしてそのまま認めることができるのです。
そして、絶対的な正義がないからこそ自由でいられると考えます。その自由には必ずしも良きことだけではなく、悪きことも含まれています。けれどもその自由から何を選び取るのか、それすらも自由です。
誰かから自由を奪うことがある何かは、おそらく他の誰かの正義です。その正義を否定するのに別の正義を使うのはあまり筋が良くないでしょう。
正義を否定するのは自由によって為されるべきではないでしょうか。
そして自由は良心によって御されるのが理想だと私は考えます。
なんてことを書きながら考えました。途中で1000文字くらい消したのですが、その分中身が詰まった気がしています。
いい結びが思いつかないのですが、とりあえず私に絶対的な正しさ探しを諦めさせた小説「エンジェル・ハウリング」はいいぞと言っておきます。