を読んで、中学時代の英語の授業のことを思い出した。
うちの中学は割と荒れている公立で、授業も崩壊気味だった。先生が荒れている生徒の指導に行ったっきり、授業が始まっても帰ってこなくて予告もなく自習になることはざらにあった。
そうした授業の中で、中学になってから初めて出会う教科が英語だ。私は何を習うのだろうと割と緊張していた。
英語の授業は教科書をほとんど使わず、先生お手製のプリントのみを使う授業だった。そのプリントが穴埋め式で、その答えを今でも覚えている。
一枚のプリントに質問は3問、3つの文章がありそれぞれに1つの空欄がある。計3つの空欄があってその答えはなんなのか?全て、 "a" だった。ワケがわからなかった。
そもそも、何を訊かれているのかわからない。問題文は穴埋めせよとしか書いてないし、なぜそこに "a" が入るのかの説明もない。先生は、ここの空欄には "a" が入ります、としか言わなかった。
全てがこの授業のせいとは言わないが、他に塾に通ったりしていなかった私は、瞬く間に英語に苦手意識を持つようになり、実力テストを受けても英語の成績は悪かった。
当時はなんでこんな意味のわからないプリントをやらされているのか、全く分からなかった。でも、今では少しだけわかる。授業中に教室から抜け出して帰ってこない生徒を少しでも出さないための工夫だったのだ。
小学校時代の積み重ねがある他の教科はまだいいが、中学から始まる英語でつまづく子供を出さないために、極限に近いところまで『簡単』にした授業が、教科書は使わず、同じ答えだけを埋めれば正解になるプリントだったのだろう。
だが、これは『簡単』であることを履き違えた授業だったと判断せざるを得ない。簡単であるというのは、理解までの道のりが楽であるというものだと私は考える。けれども私が受けた授業は、理解させることを放棄し、単に空欄があったらとりあえず "a" を入れることだけを教える授業だった。
テストでは、空欄であるよりはとりあえず "a" でも入っていた方が正答する可能性は上がる。だからこの方針になることは理解できなくもない。
でもやはり、『理解させること』を放棄した授業は良くなかったよなぁ、と思う。
しかしながら、私の通った中学校の荒れようを思い出すに、きっと私が気づかなかった現実と直面した結果のあの授業だったのだ。できる子は、やる気のある奴は、塾に行かせるなどして家で面倒を見てくれ、それがあの学校の先生方の本音だったのではないか?そう思えてならない。