お正月だろうと、過ぎる時は淡々としていると思う。
なのに賑やかなイメージがあるのは、自分が賑やかな場所に身を置くからなのだろう。そうして自分も賑やかさに貢献するのだ。
だから、お正月の賑やかさは人々の集まりの賑やかさなのであって、人々のご縁の賑やかさなのだと思う。
今、私の周りは静かで、人々の賑やかさからはちょっと遠くでこの文章を書いている。それは別に寂しいことではない。
普段よりも人が集まって賑やかな場所ができるとしたら、普段よりも人がいなくて静かな場所もまた現れる。
そうしたところで時が淡々と過ぎることを確認するのも、新年の過ごし方として悪くない。
時の流れの平等さ、残酷さ、そして優しさは、年が新たまっても変わることはないのだから。