子供の頃、バカな大人が世の中にはたくさんいて、そいつらのせいで世の中はうまく回っていないのだと思っていた。
しかし、大人になり子供の頃と比べたらたくさんの大人と接するようになって、子供の頃にイメージしていた『バカな大人』などどこにもいないと思うようになった。大人になってから出会った大人は皆、ちゃんとものを考えて、できるだけ賢く振る舞おうと努力する、そんな人たちだった。
子供の頃の私は、他者に対する敬意を知らなかった。自分の物差しだけで人をはかり、その上その物差しが未熟なものだという意識すら持っていなかった。
その傲慢さがなりを潜めたのは、自分の限界を知ってからだった。子供の頃は、自分は何にだってなれると思ってた。妄想だけは山ほどあったが、結局その中の何を選ぶこともできずに、何ものにもなれない自分というものが私の現実となった。
子供の頃に考えていた『バカな大人』というのは、今の自分のことだったように思う。
だが、それでも私は自分を殊更バカな人間だとは思っていない。私は私なりにその時その時を考えて選択してきた。同時に、私は特別な人間ではない。他の大人たちだって皆、自分と同じように考え、人生の選択を重ねてきた人たちなのだ。
そしてその人々の選択があってなお儘ならないほど、世の中というのは巨大で大きなものなのだ。
それに気づいたからこそ、『バカな大人』など世の中のどこにもいないと思うようになった。そうして、他者に対する敬意を持つようになったのだ。
若い頃の自分にもし出会えるとしたら、伝えたいことがある。
まず、あなたが考えている大人のハードルは、実はとても高いものだということ。あなたはあなたが思うような大人にはなれなかったということ。けれども、あなたが思いもしなかった形で大人であるという自覚を手に入れることになったこと。そして、あなたはちゃんと幸せになっているということ。
でも、もし本当に若い頃の自分にこれらを伝える機会を得たとしても、きっと無駄だろう。若い頃の私は誰の話も聞かない子供だったのだから。