なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

自分は醜いと言い訳をしたかった

 私はちょっと前まで、自分は醜いと思っていた。それは外見の話だけでなく、心の器量も含めてだ。

 色々とあってそのような考え方から逃げることができたのだけれど、なぜ自分を醜いと思っていたのか考えてみたら、意外な答えが見えてきた。自分は醜いということを言い訳に使っていたのだ。

 自分は醜いから人生うまくいかないのだとか、自分の醜さに気づいている分私はマシな人間だとか、とにかく醜い自分というのを勝手な言い訳に使っていた。

 じゃあ自分の美しさに気がついたからそう思わなくなったのか?と言うと、そうではない。自分を批判的に評価するのを止めただけだ。

 それだけだから、私は実際のところ醜い人間なのかもしれない。けれども、そう思わなくなっただけで、醜さを言い訳にしていた頃よりもずっと心が軽くなった。言い訳って普通自分の心を(どんな手段ででも)守るためのものなのに。

 結局、自己承認が出来るようになったというところにこの話は落ち着くのかもしれない。けれども結果だけ見ると、自分を醜いと思うことには何のメリットもなかった。

 そして今となっては、私に対して私は醜いという意識を植え付けたなにものかへの恨みも、すっかり消えてしまったのである。