非常に高性能な画像生成AI、および文章生成AIが話題になった1年、いや、ここ半年だった。
私は絵を描くのが趣味の人間だが、人間が1から絵を描くと描き上げるまで10時間から20時間はかかるクオリティの絵が20秒くらいで出来上がってしまう。
これは端的に環境破壊と言えるだろう。
絵を創作する環境を破壊するのみならず、創作という言葉の定義自体をも揺らしていると感じる。
また、AIを使って作られた創作物をどう扱うのかでも揺れたここ半年だったと思う。
ことはすでに創作という言葉の定義を考え直す段階にきているのではないかと思ったので、以下のことを考えてみた。
長くなるが、お付き合いいただけると幸いである。
現状の創作の定義
今辞書等を引くと、創作というのは次のように定義されている。
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ」
ここで扱うのは2の定義の場合にする。
さて、ここで言う独創的に作り出すこととはどのようなことだろうか。AIの生成物は全く独創的ではないと思っていいだろうか?
これについては、そんなことはないと思う
例えばTwitterで話題になったケーキと少女とAIに指定したら出来上がった絵などは独創的ではないとはとても言えないと思う。
では、AIによる生成物は全て創作と言ってもいいのだろうか?
それは何か違う気がする、というのが私の正直な気持ちだ。
なので、創作という行為について少し深掘りしたい。
創作をする動機
創作する、その動機にはどのようなものがあるだろう?
それは自分の中に表現したいものがあって、それを他の人にも伝わるような形で創り上げたいというものではなかったか?
今まで絵は全て創作と言えた。なぜなら、表現したいものがないのに描かれる絵というのは無かったからだ。表現したいものがないのならば、そもそも何も描けない。
しかし、今はその表現したいものはないのにAIの力を用いれば絵が完成するという時代になった。かつては有り得なかった『もしも』の世界がやってきたのだ。
そんな状況で、創作の定義が問われないわけがないのだ。
今後は表現したいものを手短に趣意と呼びたい。
創作をするのはAIか、人か
今、AIを使った創作という言葉は二つのものを指しており、そのために混乱が生じている。
一つはAIそのものが創作行為をしていると見做すのか、もう一つはAIを使った人間が創作行為をしていると見做すのかだ。
これについては先ほど述べた創作の動機についての話を思い出してみる。
まず、今の段階ではAIが独自の趣意をもって絵を生成することはない。なので、AIは単なる道具でしかなく、AIを用いた作品作りであっても創作行為をするのはあくまで人間であるという説が立つ。
今後はこの、創作をするのはあくまでも人間であるという説に基づいて述べていく。
創作とそうでない行為の境界線
これについては、趣意があったかどうかを創作であるか否かの境界にしたい。
例えば、適当な単語を画像生成AIに送り込んで、その結果出てきた絵をそのまま出来上がった作品とするのは創作に当たらないと考えたい。それは、そのAIを使った制作過程の中にどこにも趣意と呼べるような狙いがないからである。
一方でAIを用いた作品であっても、ただAIから出てきただけのものを作品とするのではなく、自らの趣意にあった作品が生成されるまで何十何百と試行錯誤を繰り返すことは創作行為と呼べるだろう。
AI時代の創作
今まで作品を作るときには自動で生成されるところはひとつもなかったため、作品の中に作者の趣意がないはずがなかった。趣意があるのは自明であったため、創作の言葉の定義にわざわざ含まれなかったということが考えられる。
だが、創作の動機及び創作をするのは人間であるということを考えると、趣意のあるなしを創作に含まれるか否かの境界にするのには一定の合理性があるように思える。
この定義は、先にも述べた通り、AIを用いた作品は全て創作ではないとするものではない。AIを用いた絵にも、創作と呼べるものとそうでないものがあるという話だ。
もし、AI自身が自由に作品を創る日がやってきたならまた話は違うかもしれない。しかし現状の画像生成AIはそうではない。
だから、AIが絵を描くようになったのは、機械が創作の領域にまで乗り出してきたとかそういう話ではなく、人間が行う創作行為を支える道具にAIという新しい道具が加わっただけとみるのが妥当である。
ただ、その新しい道具がゲームで言うところの環境をまるっきり変えてしまうくらいに強力なツールだったのだ。
このような時代に、創作をする人はどのように振る舞うべきだろうか?その答えはきっとシンプルだと思う。
創作を楽しめばいいのだ。
どんな道具を使ったとしても、そこに作りたいものがあるのなら、それを形にするのはきっと楽しい。
私も日々趣意をもって作品を作り出していきたい。