なにかのまねごと

A Journey Through Imitation and Expression

夢を叶えること

 夢を全否定された気分に陥った。を読んで、自分語りをしたくなった。本当に単なる自分語り。最後の節だけ読んでもらえれば意味は伝わると思う。


 私の高校は千葉県立検見川高校で、偏差値的には当時58程度の高校だった。そこに推薦で入った。私は本を読むのが好きで国語が得意で数学と英語は苦手だった。だからはなから自分には文系しかないと思って2年次で既に文系クラスへの進学を決めてしまった。大学では哲学か心理学をやろうと思っていた。
 けれども、3年になってロストユニバースのあとがき発別冊ニュートン相対性理論経由ホーキング宇宙を語る着で理系理学部に進学したくなった。宇宙の神秘に魅せられたからだ。重力を操るということは時間と空間を操ることだと気がついたとき、本当にドキドキした。
 そして、志望先を千葉大理学部物理学科にした。
 今から考えると、どうしてそんな無茶な志望をしたのか?単なるあこがれというのも確かにあったが、その時の私は受験というものにおびえていたと自己分析した。文系に進むときに、自分のちっぽけなプライドのひとつになっている国語が得意というところがもし受験で通用しなかったらどうしよう?そんな結末を迎えるのが怖いから、理転という馬鹿な選択に逃げたのだ。
 担任の先生にはこの選択で何か言われた記憶はない。でも、当時入っていたクラブの顧問の先生が数学の先生で、この先生は私の決断を応援してくれていたと思う。千葉大理学部のオープンキャンパスの日時を調べて教えてくれたりと、世話を焼いていただいた。ちなみに両親には理転については反対されなかった。大学進学そのものについては、お金が出せないから行きたきゃ自分で勝手に行けというスタンスだった。
 そしてとりあえずは数学だということで、それまで赤点ばかり取っていた数学の成績を、90点台にまで引き上げた。けれどもこれはあくまで文系クラスの数学のテストでの話。数学2Bのテストの話だった。そして最悪なことに、これ以外には特に努力をしなかった。予備校にも行かなかったし進路指導室もほとんど利用しなかったので、受験対策を全くしていなかった。文系クラスには数3Cや物理の授業がないから自分で取り組まなくてはいけなかったのに、それも一切と言っていいほどしなかった。
 センター試験の結果で行うセンターリサーチでも当然のごとくE判定。そして二次試験の当日。私は母に見送られて家を出た。しかし、試験会場である千葉大には行かなかった。落ちると分かっていて、それがとてもとても怖かったからだ。記念受験という言葉すら生温いほどに自分の学力が足りていないことを知り、それが立証されるのが怖くて怖くて仕方なかったからだ。その日一日、意味もなく東京に行って山手線に乗ってぐるぐると都内を回り続けてから家に帰った。千葉大理学部以外は一切受験しておらず、浪人が決まった。
 そして卒業前。理系クラスの現役合格を果たした友達に、物理の教科書をもらった。クラブの先生には、数3と数Cの教科書をもらった。それでなんだか、理系を志したものとしてもっと頑張ろうと思った。
 自分には怠け癖があるのが分かっていたから、お金はなかったけど宅浪はせず、予備校に週1の個別指導で数学と物理を習いに行った。その予備校の進路指導係の人に自分のセンターの結果を見せ、これで千葉大に行きたいと訴えたら、それは非常に難しいと言われた。それを聞いて泣いてしまった。悲しくてではない。悔しくてでもない。ようやく自分の進みたい道を助言してくれる人が現れて、うれしくて泣いた。
 浪人時代はよくやったと思う。毎月の月謝は昼間のアルバイトで稼ぎ、夜には参考書と予備校の先生に出された課題とつきっきりになって勉強した。しかし勉強していくうちに分かったことがあった。このまま千葉大理学部合格まで成績を上げるのは難しいということ、当時は就職氷河期で理学部に行っても就職先がないということ、親からの仕送りなしで大学へ通うのは思っていたより難しそうだということ。だから、紆余曲折はあったものの結局志望先を電気通信大学情報通信工学科夜間主コースにした。電気通信大学は就職に強い国立大で夜間だったら学費も半額だった。情報通信工学科を選んだのは、ソフトウェアとハードウェアの両方の基礎をやってくれる学科だったからだ。
 危ういところはあったが無事に合格した。


 そして今、思うところがある。私は結局、宇宙への夢を夢のまま終わらせてしまったということだ。大学に入ってから、いや、浪人時代から、宇宙に関することは一切みたり読んだりしなくなった。あれだけドキドキさせられた時間や宇宙やニュートリノの世界などに興味を持たなくなってしまった。それらに憧れていたという気持ちを思い出すことすら難しいほどに。ではそれ以外の夢を何か見つけたのか?と言われると、それにも返答に詰まってしまう。とりあえず仕事としては、Webサイト開発をすることになるだろう。それは夢じゃないのか?と言われると、一応は夢だと答えることができる。インターネットの創世というのは人類史に取って大きな道標となるだろうと確信を持って言えるし、だからその発展に少しでも関わって行きたいとも思う。けれども違うのだ。あの高校時代に感じた、瞳孔が開くようなあこがれと熱を持った夢ではないのだ。
 夢を見失った私は不幸なのかもしれない。それでもおなかは減るし出るものは出るしで毎日なんとか生きている。
 けれども、もし自分があのままの熱を失わずに時を過ごしていたらどうなっていたのか?そんなことは夢想しても意味のないことかもしれないけれど、大学の先生方をみていると時々そんなことを思ったりする。そして、そんな先生方を見れただけでも大学に進学してよかったかな、と思うのだ。